特集ワイド:憲法よ 近現代史家・加藤陽子さん
(毎日新聞 2013年08月22日)
近現代史家・加藤陽子さん
<この国はどこへ行こうとしているのか>
◇若者に危機回避の希望−−近現代史家・加藤陽子さん(52)
◇「いつか来た道」という言葉は嫌い 私たちの選択、疑うことが必要
日本近現代史の論客、加藤陽子さん
と向き合ったのは偶然にも戦後68回目の終戦記念日だった。
「8月15日が近づくとよく語られる
『いつか来た道』という言葉が嫌いなんです」
ソプラノのような声、ゆっくりとした話し方。
耳に優しいが内容は刺激的だ。
「私たち日本人は、そんな脅されるような言い方
でしか戦争というものを考えられないのか、
それは戦争を防ぐために本当に有効なことなのか。
そう思えてしまって。いらだちすら覚えてしまう」
嫌いな言葉がもう一つあるという。
「『二度と戦争は起こさない』。
そんな誓いを何回繰り返しても、実行されなければ意味がない。
軍事技術の発展や最新の国際情勢といった
新たな戦争につながりそうな問題を解決しない限り、
誓いは果たせない。
今起きていることを『いつか来た道』にあてはめる
だけでは、解決になりませんよね」
2009年に出版しベストセラーになった
「それでも、日本人は『戦争』を選んだ」。
日清戦争から太平洋戦争まで
個々の戦争ごとに国民の意識に変化が生じ、
戦争を主体的に受け止めるようになる過程
について、中学生と高校生に講義した内容
をまとめた。
「人々の意識に、いつ劇的な変化が生まれ、
戦争を正当化するようになるのか。
その瞬間を正確に認識することは、
次の戦争の萌芽(ほうが)に対する敏感な目や耳
を養うことになる」。
そう語るリアリストにとって憲法はどんな存在なのか。
「9条放棄の結果が出たら日本国籍を見放す」。
昨年秋、社会学者の上野千鶴子さんと
「婦人公論」で対談した際に言い切った。
「9条を変えられるのはすごく嫌。
あれだけの戦争をしてアジア諸国や日本に死者を出した
後の憲法なのだから、誰がつくっても平和主義
を柱にしたはず。
その象徴が9条であり戦後、アジアに警戒されずに
経済成長をひた走れたのも9条のおかげです」。
上野さんも「国籍放棄」に同意見だったが、
さすがに活字にするのはどうかと2人で悩んだ。
「けれど、やっぱり正直な気持ちを残しておこう
ということになって。
本当にそうなったらカナダ国籍でも取ろうかしら」
自民党の議員らが
「日本を守ろうとする米軍が攻撃されているのに、
日本が反撃できないのはおかしい」
と主張していることにいかがわしさを感じている。
「9条が改正されて自衛隊が正式に国防軍となり、
集団的自衛権行使の名目で海外に派兵される。
派兵の細部は法律で定めるという。
でも法律に譲ってしまうのはよくないでしょう。
それなのに国民に対して、そういう説明はあまりない」
おもむろにメモ帳をテーブルに置き、
中国大陸の略図を描き始めた。
さらに黒ボールペンで、1931年の満州事変以降、
日本の関東軍が主張する
“領土”が拡大していく様を斜線で表した。
「当初、関東軍が主張した旧満州(現中国東北部)の権益
は南満州鉄道の沿線でしたが、
やがて満州南部から全満州に広がった。
関東軍はソ連、米国との戦争を支える基盤
として満州全体の占領を目指していた。
一方、国民に対しては中国の条約違反などをあげつらい、
反中感情を巧みにあおった。
国民を納得させるための説明と政府の本音
には常にズレがあるというのが、
私が研究から得た基本的な考え方です」
加藤さんにとって満州は研究対象にとどまらない。
父が44年に野砲兵として立った戦地でもある。
この地にはソ連軍の侵攻に備え、
砲台や地下壕(ごう)が建設された。
父は熊本県の予備士官学校に入るために満州を離れ、
終戦を米軍の上陸に備えた高知県で迎えた。
その父に聞いた話から学んだことがある。
「関東軍はソ連軍の侵攻に備え、
38年にはソ満国境に強大な陣地を築きます。
しかし現実には、日本軍の正面は太平洋の米軍であり、
この要塞(ようさい)を巡る激戦は終戦時までなかった。
関東軍が陣地に投じた莫大(ばくだい)な鉄材、
コンクリート、人力は無駄になりました。
戦況が変われば戦場も変わる。
最前線で防衛拠点を拡大しようとするのは意味がない。
現在の尖閣問題においても危機だから
と島に防衛拠点を築いたりするより、
緊張緩和に重きを置くべきではないでしょうか
史料を駆使し、当時の国民や為政者の心理
にまで分け入ろうとする研究態度はどこから来たのか。
「私ね、小学生の頃は『朝起きた時、そこがピラミッドの中
だったらどんなにいいだろう』と祈りながら寝ていたの。
ツタンカーメン王が死に、ミイラにされる時
にも立ち会いたかったくらい」。
今でいう「歴女」、しかも筋金入りだった。
好きなテレビ番組はNHKの歴史教養番組
「タイムスクープハンター」だ。
「この番組は時代考証がしっかりしているし、
ドラマ場面の登場人物たちは自分の頭髪をそったり
結ったりしてリアル。
歴史的な場面をつぶさにこの目で見てみたい
という私の願いをかなえてくれるようだから」
と笑みを浮かべた。
学者として研究対象に選んだのは、
日本が破滅に向かった1930〜40年代。
戦後、繰り返し問われたのは
「なぜ戦争への道を進んだのか」だった。
加藤さんに問うと腕を組み、精神を当時に飛ばそう
としているかのように目をぎゅっと閉じた。
「当時の国民や政治家は道を誤るのかと
ドキドキしながら戦争への道を選んだのではありません。
中国をこらしめ、アジア解放を妨げる
米英と戦うのは正しい選択だと信じ、
戦争を正当化したのです。
国民は決してだまされたのではない」
ならば今、求められる姿勢とは何か。
「この国には、いったん転がり始めたら
同調圧力が強まり、歯止めが利かなくなる傾向がある。
例えば、育ちのいい政治家がやることだから
間違いはないと信じていいのでしょうか。
政治家の言動、私たちの選択は正しいのだろうかと疑う
ことが必要だと思うのです」
改憲への「同調圧力」は徐々に強まっているが、
加藤さんは希望を捨てない。
「自民党などが法案を提出した
児童ポルノ規制が漫画やアニメに広がりそうになった時、
大人は鈍感でしたが、若者たちは
『表現の自由が制限される』とインターネットなどで
反対の声を上げました。
国防軍の問題点や現憲法の意義を分かりやすく
若い世代に伝えれば、憲法の危機だって
回避できるのではないでしょうか」
過去ではなく未来にタイムトリップしたら、
どのような日本が見えるだろう。
再び目を閉じ、しばし考え、穏やかに言った。
祈りのように。
「今よりも……もっと女性が社会で活躍していて
平和な時代が続いていると思います、きっと」
【瀬尾忠義】
==============
■人物略歴
◇かとう・ようこ
1960年、埼玉県生まれ。
89年東大大学院博士課程修了。
スタンフォード大フーバー研究所訪問研究員
などを経て東大大学院人文社会系研究科教授。
専攻は日本近現代史。
著書は「徴兵制と近代日本」など多数。
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(毎日新聞 2013年08月22日)
近現代史家・加藤陽子さん
<この国はどこへ行こうとしているのか>
◇若者に危機回避の希望−−近現代史家・加藤陽子さん(52)
◇「いつか来た道」という言葉は嫌い 私たちの選択、疑うことが必要
日本近現代史の論客、加藤陽子さん
と向き合ったのは偶然にも戦後68回目の終戦記念日だった。
「8月15日が近づくとよく語られる
『いつか来た道』という言葉が嫌いなんです」
ソプラノのような声、ゆっくりとした話し方。
耳に優しいが内容は刺激的だ。
「私たち日本人は、そんな脅されるような言い方
でしか戦争というものを考えられないのか、
それは戦争を防ぐために本当に有効なことなのか。
そう思えてしまって。いらだちすら覚えてしまう」
嫌いな言葉がもう一つあるという。
「『二度と戦争は起こさない』。
そんな誓いを何回繰り返しても、実行されなければ意味がない。
軍事技術の発展や最新の国際情勢といった
新たな戦争につながりそうな問題を解決しない限り、
誓いは果たせない。
今起きていることを『いつか来た道』にあてはめる
だけでは、解決になりませんよね」
2009年に出版しベストセラーになった
「それでも、日本人は『戦争』を選んだ」。
日清戦争から太平洋戦争まで
個々の戦争ごとに国民の意識に変化が生じ、
戦争を主体的に受け止めるようになる過程
について、中学生と高校生に講義した内容
をまとめた。
「人々の意識に、いつ劇的な変化が生まれ、
戦争を正当化するようになるのか。
その瞬間を正確に認識することは、
次の戦争の萌芽(ほうが)に対する敏感な目や耳
を養うことになる」。
そう語るリアリストにとって憲法はどんな存在なのか。
「9条放棄の結果が出たら日本国籍を見放す」。
昨年秋、社会学者の上野千鶴子さんと
「婦人公論」で対談した際に言い切った。
「9条を変えられるのはすごく嫌。
あれだけの戦争をしてアジア諸国や日本に死者を出した
後の憲法なのだから、誰がつくっても平和主義
を柱にしたはず。
その象徴が9条であり戦後、アジアに警戒されずに
経済成長をひた走れたのも9条のおかげです」。
上野さんも「国籍放棄」に同意見だったが、
さすがに活字にするのはどうかと2人で悩んだ。
「けれど、やっぱり正直な気持ちを残しておこう
ということになって。
本当にそうなったらカナダ国籍でも取ろうかしら」
自民党の議員らが
「日本を守ろうとする米軍が攻撃されているのに、
日本が反撃できないのはおかしい」
と主張していることにいかがわしさを感じている。
「9条が改正されて自衛隊が正式に国防軍となり、
集団的自衛権行使の名目で海外に派兵される。
派兵の細部は法律で定めるという。
でも法律に譲ってしまうのはよくないでしょう。
それなのに国民に対して、そういう説明はあまりない」
おもむろにメモ帳をテーブルに置き、
中国大陸の略図を描き始めた。
さらに黒ボールペンで、1931年の満州事変以降、
日本の関東軍が主張する
“領土”が拡大していく様を斜線で表した。
「当初、関東軍が主張した旧満州(現中国東北部)の権益
は南満州鉄道の沿線でしたが、
やがて満州南部から全満州に広がった。
関東軍はソ連、米国との戦争を支える基盤
として満州全体の占領を目指していた。
一方、国民に対しては中国の条約違反などをあげつらい、
反中感情を巧みにあおった。
国民を納得させるための説明と政府の本音
には常にズレがあるというのが、
私が研究から得た基本的な考え方です」
加藤さんにとって満州は研究対象にとどまらない。
父が44年に野砲兵として立った戦地でもある。
この地にはソ連軍の侵攻に備え、
砲台や地下壕(ごう)が建設された。
父は熊本県の予備士官学校に入るために満州を離れ、
終戦を米軍の上陸に備えた高知県で迎えた。
その父に聞いた話から学んだことがある。
「関東軍はソ連軍の侵攻に備え、
38年にはソ満国境に強大な陣地を築きます。
しかし現実には、日本軍の正面は太平洋の米軍であり、
この要塞(ようさい)を巡る激戦は終戦時までなかった。
関東軍が陣地に投じた莫大(ばくだい)な鉄材、
コンクリート、人力は無駄になりました。
戦況が変われば戦場も変わる。
最前線で防衛拠点を拡大しようとするのは意味がない。
現在の尖閣問題においても危機だから
と島に防衛拠点を築いたりするより、
緊張緩和に重きを置くべきではないでしょうか
史料を駆使し、当時の国民や為政者の心理
にまで分け入ろうとする研究態度はどこから来たのか。
「私ね、小学生の頃は『朝起きた時、そこがピラミッドの中
だったらどんなにいいだろう』と祈りながら寝ていたの。
ツタンカーメン王が死に、ミイラにされる時
にも立ち会いたかったくらい」。
今でいう「歴女」、しかも筋金入りだった。
好きなテレビ番組はNHKの歴史教養番組
「タイムスクープハンター」だ。
「この番組は時代考証がしっかりしているし、
ドラマ場面の登場人物たちは自分の頭髪をそったり
結ったりしてリアル。
歴史的な場面をつぶさにこの目で見てみたい
という私の願いをかなえてくれるようだから」
と笑みを浮かべた。
学者として研究対象に選んだのは、
日本が破滅に向かった1930〜40年代。
戦後、繰り返し問われたのは
「なぜ戦争への道を進んだのか」だった。
加藤さんに問うと腕を組み、精神を当時に飛ばそう
としているかのように目をぎゅっと閉じた。
「当時の国民や政治家は道を誤るのかと
ドキドキしながら戦争への道を選んだのではありません。
中国をこらしめ、アジア解放を妨げる
米英と戦うのは正しい選択だと信じ、
戦争を正当化したのです。
国民は決してだまされたのではない」
ならば今、求められる姿勢とは何か。
「この国には、いったん転がり始めたら
同調圧力が強まり、歯止めが利かなくなる傾向がある。
例えば、育ちのいい政治家がやることだから
間違いはないと信じていいのでしょうか。
政治家の言動、私たちの選択は正しいのだろうかと疑う
ことが必要だと思うのです」
改憲への「同調圧力」は徐々に強まっているが、
加藤さんは希望を捨てない。
「自民党などが法案を提出した
児童ポルノ規制が漫画やアニメに広がりそうになった時、
大人は鈍感でしたが、若者たちは
『表現の自由が制限される』とインターネットなどで
反対の声を上げました。
国防軍の問題点や現憲法の意義を分かりやすく
若い世代に伝えれば、憲法の危機だって
回避できるのではないでしょうか」
過去ではなく未来にタイムトリップしたら、
どのような日本が見えるだろう。
再び目を閉じ、しばし考え、穏やかに言った。
祈りのように。
「今よりも……もっと女性が社会で活躍していて
平和な時代が続いていると思います、きっと」
【瀬尾忠義】
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■人物略歴
◇かとう・ようこ
1960年、埼玉県生まれ。
89年東大大学院博士課程修了。
スタンフォード大フーバー研究所訪問研究員
などを経て東大大学院人文社会系研究科教授。
専攻は日本近現代史。
著書は「徴兵制と近代日本」など多数。
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by mahouno9
| 2013-08-22 16:56
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